アル厨の在宅ワークと育児の記録

外資系企業サラリーマンの在宅ワーク期間中の備忘録(たまにNTRにハマる友人について触れるのでエロく乱れます)

4月12日(日) 雨

 久し振りの雨日和。
 晴れていれば散歩にでも出掛けたかったのだが、気温もそう上がらない様子なので自宅で過ごすことにした。言わば食べたいものを食べに行ったり、行きたいところに行くことをしない過ごし方は自分に取っても自粛らしい自粛と言える。

 週末の外でのランチは妻と子供も含めて共通の楽しみである。外食を贅沢だとする見方もあるようだが、平日の出費を抑えた僕の財布からの支払われるものなので家計への影響は皆無で、そもそもランチであれば一回の食事で3000円以下に収まるので調度良い気晴らしだ。
 以前は土日はどちらも食事を兼ねて何処かへ出掛けないと気が済まなかったのだが、どちらかは意図的に家で食事を取って出掛けるというスタイルが定着しつつある。子供を外で連れまわすことは大人が想像する以上に疲れるのだと、車内で寝息を立てる子供の寝顔を見ながら感じるようになった。

 このところハマっているラーメン屋がある。所謂二郎インスパイア系のお店にカテゴライズされるのだが、この店は太麺と細麺をセレクト出来る点と、盛られる野菜がサッと炒められており、香ばしさが加わっている点が他とは違う。
 数年前に一度家族で訪れたこの店であるが、当時は可もなく不可もなくといった印象で繰り返し店を訪れることには至らなかったのだが、子連れで食事を取りやすいことが上述に加えて今となってはプラス要素に感じられる。
 舌が変わるというよりはライフスタイルから趣向が変わっているといったところか。

 西の方の出身の僕に取ってラーメンと言えば細麺のとんこつラーメンが馴染み深いのだが、社会人になって状況してからは横浜家系ラーメンや大勝軒や六厘舎のようなつけ麺にもドハマりし、週に何度も色々な店に足を運んだ。
 初めて吉村家で中盛のチャーシューメンを食べた時は、スープが辛く感じ水を飲み過ぎて大量に残してしまい、ラーメン好きとしてはそれがカルチャーショックでもあった。

 ここで背脂どっさりの醤油ラーメンをバリカタの細麺で食すことは今や幸福度を維持するための大事な習慣となっているということか、これを抜きに新たな一週間に突入してしまうことへ不安を覚えている。
城西腐︎ ℗ on Twitter: "カクヨム 金のたまごで取り上げて頂きました。… "

4月11日(土) 曇り時々晴れ

 無事に週末を迎えながらも、自宅に籠りきりの日々が続くためか曜日の感覚が失われているようで、目覚めながら今日が何曜日なのかを認識するのに少し時間がかかる。

 今週も一週間の業務を無事に終えることが出来た。
 週の後半にはクライアントに向けてチームの進捗報告の場が設けられ、その場の進行やこれに向けたチームの各タスクの進捗の管理が僕の主な役割になっている。
 進捗が芳しくないと気が重いのだが、実質現場のことは優秀なチームのメンバーがそれぞれこなしてくれており、多少遅れが発生しようが現実的なリカバリプランを提示しながらその後の見通しが説明出来ればそう揉めることもない。自分のPCの画面を共有しながらほぼ独壇場の状態で喋り、補足事項や詳細な説明が必要な場合はメンバーが補うようにコメントを添えてくれる。
 新人メンバーが書き上げた議事録をレビューしていると、自分がとても格好良く進行しているかの様であるが、実際喋りはツイキャスで取り留めも無く喋っている時の様に雑なので申し訳無く思えて来る。

 僕の場合、現場で手を動かしている時よりもチームのリーダーとしてプロジェクト管理をするようになってから飛躍したように思う。プロジェクト管理も奥が深いスキルだ。いつの時代も組織マネジメントやリーダーシップについてビジネス書が書かれるわけだ。
 個人的にはチームビルディングという言葉にはシンパする部分があり、40代以降のキャリアもこの辺りをもっと語れるように取り組めればと思うが、現場寄りな専門的なスキルからは遠のくことを意味するため割切りは必要だ。

 金曜日の定時間際に18時以降のミーティングが急遽セッティングされ、参加してみるとこれまで自分達のチームが同席したことも無かった業務でトラブルが発生しているとのことであった。トラブルが起きてから場当たり的に巻き込まれるのは何とも言えない不毛感を覚えてしまう。これまでの経緯や脈略も知らされずに直接的な処置だけお願いと言われているようで、情報の連携の仕方によっては後手後手の対応しか取れない。せめて「全体としてどうあるべきなところ、現状どうなっている。だからこういった場を設けたのだ」という説明くらいは必要だろう。
 週明けに改めて更に関係者を巻き込んだ状態で会議招集があるという。何を求められているのか、意図の読めない話合いは嫌いだ。

 平日籠りきりの生活が続くこともあり、スーパーへ食料品の買い出しを口実に外出した。
 車の運転が週末の気晴らしの一つである僕にとっても外出が制限され過ぎると、こういった時間の取り方も難しくなるので死活問題でもある。
 スーパーへ向かう途中、先週と同じ水辺の公園を散歩した。子供は階段の最後の段をジャンプして降りたり、柵を潜って通り抜けたりと体を動かしては得意げな表情をこちらへ向けて来るので連れて出て良かったと思った。やはり家にいて窮屈なのは子供も一緒なのだ。

 ショッピングモール地下の大型スーパーへ向かうと、2Fのフロア以上の専門店が全て休業状態で改めて緊急事態宣言による自粛モードを実感した。モール内も駅へ向かう人々の通り道になっているに過ぎず、エスカレーターさえ動いているものの何とも異常な光景だ。

 そう言えば午前中に箱買いしたレモンサワーが届いた。
城西腐︎ ℗ on Twitter: "カクヨム 金のたまごで取り上げて頂きました。… "

4月9日(木) 晴れ

 晴れの日が続く。
 遂には自宅マンション内でもコロナウイルス感染者もしくは感染者との濃厚接触者が出たと噂が立ち始めた。何処のお店や保育園に感染者が出たとの情報が発端となり、そこを出入りする者がマンション内にいるというのが根拠なためどうやらデマではないらしい。マンションの敷地内を子連れで行き来するのも気が気ではない。
 家庭によっては、毎日子供を自宅に居させ続けては間が持たないと外で遊ばせる家庭も一定数いる。変わらず出歩いているのはいつもの顔ぶれだが、せめてこういった異常事態の間は何等かの工夫をして家で遊ばてはと思う。ゲームを通常より長い時間許可するであるとかで十分ではないか。
 遅かれ早かれ近所の子供達の間でも感染は拡大するのだろうと、危機意識の差を感じながらもどかしさを覚える。
 控えていたアルコールの箱買いだが、それを理由にAmazonをワンクリックしていた。

 先日からチームのメンバーが書き上げる企画書のレビューを行う日々が続く。専門的な視点が必要なため、僕は特にコメントを控えながら企画が練り上げられる経緯をチームのリーダーとして見守り、僕の更に上の上長が細かく指摘を入れて行く。
 その上長の空いた時間の隙間を縫うように日に何度もコールの時間が設けら、次第に企画の格子がはっきりと出来上がっていき、そいつを更にディレクタークラスの上層部へとレビューを通すと、全く別の視点からもシナリオが色付けられ華やかなものに仕上がっていく。
 唯一指摘を入れたくなったのは、”机上”という記載が”騎乗”と誤った箇所があり、「机上が騎乗位みたいになってますよ」って言いそうになったが、その場に女性がいた場合はこれもセクハラになってしまうのかと問答した末にミュート解除のボタンを押せぬままやり過ごしていたが、その場には男性しかいなかった。

 情報を構造化していく作業は面白い。
 キャリアのステージによって求められることは変わる。こういった場を増やしながら多くのビジネスパーソンがバーバラ ミントの著書を手に取り、次のアウトプットに向けて改めて知識を詰める作業を行う。
 着実にステップアップしていれば、いつも出来ないことに直面してばかりだ。20代ではピンとこなかった指摘も有り難く感じられる。

 

4月7日(火) 晴れ

 Amazonで箱買いしていたアルコールが尽きたのだが、新たに箱買いすることを躊躇っている。仕事の合間に、余り人と接さずに行き来出来るコンビニへ散歩がてら子供を連れて出るということを日課にしておくべきか、その判断がまだし切れていない。
 実際のところ大人も持て余しているという要因もおおきいのだろうが、マンションの敷地内で知った顔のママ友達が子供を遊ばせている場に遭遇すると子供もそれを羨ましく思う。僕なりの子供との時間の取り方をどのように持つかであるが、車で出た場所のコンビニまで行きながらお話をするなどはどうだろうと思いもするものの、自宅マンションから少し離れると近所の知った顔を目にすることは無くなるが、全国行ったり来たりのトラック運転手達と遭遇するわけで、それはこの自粛モードな状況で良いのだろうかと考えるが良いわけはない。
 子供の息抜きをどうするかと、酒のことを考えているのかよく分からなくなっていると遂に緊急事態宣言がなされた。

 緊急事態宣言については、新学期のスタートに難儀を示していた僕に取っては朗報である。この上ないトップダウンなアナウンスによって、新学期がスタートしても登校させないという各家庭の判断を社会は許容せざるを得ないと思う。実際のところ、新学期のスタートが予定通りされようがされまいが、このような判断で1カ月は様子をみようと折り合いをつけようとした矢先のことだった。
 今週予定されていた入学式は簡易的な保護者説明会に急遽変更された。
 出社を継続している企業の従業員も、各自の判断がしやすくなったように思うし、くれぐれも思考停止した状態で意思に反して出社して感染するようなことの無いように、自分の身は自分で守るよう努めていければと思う。強制力や細かな基準までを国に求めて不満を募らせている場合ではない。
 通常通りの稼働を続ける医療従事者や小売り業者の方々の間で感染が拡大しないことを切に願う。

 出社しなくて良くなったということと、普段通り仕事が捗るかというとそれは別の問題のようだ。家の外で場所を探すにしてもカフェではノイズから通話の品質は落ちてしまうし、図書館では通話そのものを禁じられているケースが多い。用途に応じて場所を転々としていては集中して仕事など出来やしない。
 人によっては家にいるならと日中も何らかの家事を課せられたり、その精度をネチネチと指摘されて夫婦喧嘩に発展するなどと理由をつけ、出社をするものもいる。子供が邪魔しに来るので仕事にならないという人も少なくなく、自宅での仕事に勤しむスペースの確保に難儀している模様。
 Twitterか何かのSNSで、在宅ワークと休日は違うのだということを奥さんに理解してもらうのに2年くらいかかりそうだという嘆きを目にして僕もやるせなくなった。

 

4月4日(土) 快晴

 在宅ワークがスタートしてから暫くは仕事の合間に散歩がてら、その日の晩に飲むアルコールを調達するため、Amazonプライムビデオで持て余した上の子を外出を日課としていた。
 自宅にストックしておくと飲み過ぎてしまいそうなため、その日の分はその日にというスタンスはここ数年徹底していたのだが、コロナ関連の暗いニュースを眺めているとこんな時に酒のためだけに外出するのもいかがなものだろうと、試しにAmazonで箱買いをしてみるとこれが意外に良かった。
 こうすることで平日の仕事の合間に外出するための隙間時間を見繕う必要もなくなり仕事に集中出来るわけだが、外に出るきっかけを失った子供のフラストレーションは溜まる。

 そういうこともありこの日は買い物ついでに少し開けたところへドライブでもと、海辺の公園へと出掛けると、似たような様子で小さい子供を遊ばせる家族がちらほら見られた。やはり天気の良い日にも自宅に閉じ籠っていなくてはならないとなると大人でも気が滅入りそうになる。
 ここ数週間は目覚めた時点からどこか憂鬱だ。先日からの皮膚科へ通うといったくだりについても、そこまで皮膚がデリケートではない僕も実はストレスを感じているのかもと思ったところ、医師は乾燥によるものだと断言した。
 皮膚科の話をすると、先々週の久々の通院の際に切られた駐禁が悔やまれる。ゴールド免許に更新したばかりだったということもあるが、普段小銭をケチって路駐みたいなことをしない僕としては迂闊だった。

 アルコールの箱買いの所感としては、やはりストックがあることで気分によっては普段より多めに飲んでしまうなどを初回からやってしまい、そうなると翌日の目覚めは更に頭が重い。予定よりも早く空き箱となったため、既に次を考えなければならないでいる。

 世間では新学期スタートの時期でまたざわついている。医薬品メーカーに勤める幼馴染と会話をしていると、遅かれ早かれ大流行はもはや免れないであろうこと、流石にそうなると休校などの対応が取られるだろうとのことであるが、結局決められないリーダーが先導する集団の対応は後手後手になってしまう。
 我々の仕事でも同じことが言えるのだが、普段から先手を切った未然の対処に努める僕としては非常にやるせない。

 

4月2日(木) 快晴

 今日は早朝からのクライアントのハイクラスな面々への報告を交えたミーティングだったのだが、2時間の予定のところ1時間で終えることが出来たため、駅前の皮膚科に足を運んだ。
 車を走らせながら目に入る桜並木には葉桜が混ざり若干寂しくもなった。
 先週処方された塗薬の使い方が悪いとか何とかの指摘を受けて、特に新たな薬を処方されることもなく駅前のこじんまりとしたモールで買い物をした。

 

 世間では首都圏のロックダウンや緊急事態宣言が囁かれる中、首相が国内の前世帯にマスク2枚を配布するとのアナウンスが昨日なされていた。
 駅前では90歳前後であろう老夫婦がマスクもせずに、恐らく普段通りであろう持て余した様子でごった返るモールの中を意気揚々と歩いている。きっと街がロックダウンされたとしても彼らは外出するのだろう。
 駅前のスタバの前を通りかかるとき、妊婦が2人並んでくつろいでいた。
 用が済んだらとっとと帰宅しようと、最低限の用を済ませて車へ乗り込もうとする自分のテンションとのギャップに気味悪さを覚えた。仕事があるから帰宅を急ぎたいわけではない。この状況においては無意味に外にいることにただただ不安を感じる。

 

 帰宅して昼食を済ませて、早速午後からの仕事に取り掛かる。会議続きでドキュメントの作成やメールの返信も出来ないまま会議が続き、気が付けば子供達を風呂へ入れる時間であることに気付き、一旦仕事から離れた。

 

 再度仕事に戻り、海外のメンバーとコールをしていると、その国では何と毎日数100人規模でコロナウイルスの感染者が増加しているといい、東京の比ではないなと思ったのだが、やはり挨拶の際のハグやキス、握手による接触習慣があるのと無いので大きな違いがあるようだ。
 海外のメンバーとのコールで仕事の話題から逸れると、PCの画面にその国の地図をGoogleマップ表示させながら雑談をする。
 聞いたことがないが実は大きい規模の都市などの名称を聞かされるとテンションが上がるので、きっと僕は土地フェチなのだと思う。

 

4月1日(水) 曇りのち雨

 テレワーク、テレワークと調子に乗っていた(そんなつもりもないが)ら、世間が在宅ワークで溢れかえっていた。
 自分なりの備忘録を主旨として在宅によるリモートワークの日常を取り留めも無く記録していきたい。

 僕にとってリモートワークは通勤時間を省けるのでこの上ない。
 通勤を含め外出すること自体が無意識のうちに各々の気晴らしになっているようだ。チームメンバーによっては「ずっと家にいると病む」と言い、独断でオフィスへ行ってしまったりする。
 またリモートワークとなると家事との兼合いが各々の都合の良い判断が入り交じり、ミーティング中に後ろで車が走る音や、洗濯機のスイッチを押す音が聞こえてくる。寝そべって発言している人の声もそれとなく把握出来る。

 通勤時間中に出来ていた読書時間をどう確保するかについて最初は難儀していたのだが、いつも通りに起きて仕度をして仕事モードにシフト出来れば時間の確保は可能だった。
 16時頃に気晴らしに風呂を磨いて湯を張り始め、18時前後には一旦仕事を切り上げ、子供を風呂に入れるなどの家事への加担も出来るので、このワークスタイルは気に入っている。
 もう一か月以上オフィスへは足を運んでおらず、この生活にも慣れて来た。

 先週辺りからコロナウイルスの影響でいよいよ外出するにも懸念を覚えるようになっている。
 遂には先日から感染が報道されていた志村けんがこれにより他界し、今晩追悼の特番が組まれていた。
 思えば物心ついて記憶にあるバラエティー番組はオレたちひょうきん族カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビだった。無口な父親がテレビを観ながら笑うのが印象に残っており、更に堅物な祖父が録画していた8時だよ全員集合を観せられてドリフターズの存在を知った。仲本工事の体操のコントが今でも好きだ。
 2004年にいかりや長介が他界した際も特番が組まれ、体を張ってボケまくる長さんを若い志村けんが思い切り頭を叩いていた。
 葬儀の日にたまたま就職活動中で都内にいた僕は、面接の帰りに青山葬儀場へ立ち寄り何となく周囲を歩いていた。確かこの日も雨だった。

 リビングから子供の笑い声が聞こえてきたのでそろそろ変なおじさんに会いに行く。
 それにしてもタイトルを意識せずに書きなぐれるのは良い。